渋谷駅前で働くデータサイエンティストのブログ

元祖「六本木で働くデータサイエンティスト」です / 道玄坂→銀座→東京→六本木→渋谷駅前

生活者ターゲティングの時代は終わり、エコノメトリクスによるマーケティングが台頭する

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(Image by Mediamodifier from Pixabay)

実はもう1年以上前のことなのですが、LinkedInで以下の記事を見かけて「おー、ようやくこういう意見が公の場に出てくるようになったんだな」と思ったのでした。原文は英語ですが、短い文章なので英語が不得手な方でも各種翻訳サービスなどを使えばサクッと読めるのではないかと思います。

で、何故そういう感想を抱いたのかというと「個人的にはもう2017年ぐらいからほぼ同じことを考えていたから」です。しかし、広告マーケティング業界(特にオンライン広告)では長年に渡り「個々の顧客にone-to-oneで訴求できることこそが最重要」という考え方が主流となってきていて、近年のパーソナライズド広告や見ようによってはレコメンデーションもその流れに沿って隆盛を誇ってきたアプローチとも言えます。そこに満を持して一石を投じる形になったのが、上記の記事だと言えるでしょう。


ということで、上記の記事を思い出したついでにこの議論について自分なりの意見を書き添えておこうと思います。なお、予めお断りしておきますがこの記事は純然たる個人的な意見の表明であり、特定の企業や組織を代表するものではないので悪しからずご了承ください*1。また、一般にこの手の個人をターゲティングするマーケティングを「ユーザーターゲティング」と呼びますが、必ずしも何かの「ユーザー」とは限らないという実態を鑑みて、この記事では「生活者」という語を充てています。

生活者ターゲティングの終焉


ちょっと調べてみたのですが、生活者ターゲティングに基づくone-to-oneマーケティングという発想自体は結構古くからあるんですね。Harvard Business Reviewでone-to-oneマーケティングが取り上げられている記事が既に1999年に出ていることから、それこそドットコム・バブル*2以前からあるということになります。言い換えると20年以上の(広告マーケティング業界としては)異例の長さを誇る伝統だということですね。


そんな長きに渡る伝統に翳りが見えてきたわけですが、紹介記事中でも触れられている通りで基本的には3rd party cookie規制が直接的なきっかけとなっています。それに加えて、GDPR*3を初めとする世界各国各地域におけるプライバシー保護法制の整備もあいまって、生活者ターゲティングという考え方自体が曲がり角に来ていると見るのが妥当でしょう。


ただ、そもそも論として広告マーケティング業界では以前から常道とされてきたリターゲティング広告などの生活者追跡型の広告について「期待されるほど効果がない」「世間からの嫌悪感が強く敬遠されがち」と言われるようになってきたのも事実だと思います。そして最大の問題として、

  • そもそも期待されるほど詳細な生活者のデータが取れない
  • どれほど生活者をターゲティングできるデータを集めても、それを広告・マーケティングとして活用するためのアクチュエーター(実現手段)がない

といった点が挙げられます。例えば、会員制ポイントシステムやマイレージのような仕組みを持っている事業会社は数多くのビジネス領域に多数ありますが、「意外とマーケティングに役立つ個人データが取れていない」「せっかくone-to-oneマーケティングを企画してもリーチする方法がメールやアプリのプッシュ通知ぐらいしかない」という嘆き節もまた多く見聞します。


これらをまとめると、「プライバシー保護法制の強化」「生活者からの嫌悪感」「アクチュエーターの乏しさ」という3点が生活者ターゲティングの時代の終焉を招いているのだと言えます。勿論、プライバシー保護法制に則った形で利用される1st party cookieを含む個人データに基づくone-to-oneマーケティングの類は今後も実施され続けると思いますが、それが効果を発揮するのは限られた「場」「空間」に限られるだろうと予想しています。


エコノメトリクスによるマーケティングの台頭


これに対して、当然出てくるのが「なら集計済みの個人に紐づかない(プライバシーが保護された)データを使ってマーケティング分析すべきだ」という意見で、紹介記事でもほぼ同じ論を展開しています。ちなみに生活者ターゲティングのための個々人のデータを"unaggregated"と呼ぶ一方で、集計済みで匿名化された(というか個々人が識別できない)集団データを"aggregated"と呼ぶことから、「aggregated dataを使ったマーケティング」のように扱われることもあるようです。


紹介記事ではその例として二つを挙げていて、一つはcontextual targeting即ちコンテキスト広告。そしてもう一つがMedia Mix Modeling (MMM)などのエコノメトリクス(計量経済学)ベースのマーケティング分析です。


MMMについては4年前にこの記事でも論じたことがありますが、端的に言えば「ある事業KPIを目的変数とし、それに影響を及ぼしそうなメディアやマーケティング施策のコストや指標を説明変数として、包括的な『説明』と『予測』を目指す回帰モデル」を指します。ビジネスシーンの文脈によって呼ばれ方は様々で、単に「需要予測モデル」と呼ばれることもあれば、Marketing Mix Modelingと呼ばれることもありますが、やっていることは大体同じです。基本的にはそれぞれに必要なデータセットが得られれば実施可能で、しかもやっていることは外生変数ベースの時系列動的回帰なので、普通は同じ土俵上に乗せられない「TVCM vs. 動画広告」のような比較を行うこともできます。


それらの「説明」に基づいて、例えばより効果的な広告・マーケティングチャネルへの投資を増やすとか、反対に効果の薄いチャネルへの投資を減らすといった、一種の「予算配分の最適化・合理化」を目指すというのがMMMの基本的な発想です。これに限らず、古典的なマーケティング実験(A/Bテスト)に基づいて投資の増減を決めるというのも同じ発想と言えるでしょう。


しかし、個人的にはMMMも問題が多いと思っていて、例えば「羅生門効果」はその好例です。これは「同じ程度の性能(予測精度:特に汎化性能)を持つモデルが複数あった場合にどのモデルの『説明(解釈)』を優先すべきか」という話で、機械学習分野では近年注目されて論文にもなっていると聞いています。具体的には、異なる変数集約をかけてどちらも説明変数が5個ずつになったMMMモデルが2つあり、その汎化性能がほぼ同等だった場合、どちらのモデルのパラメータに基づく解釈を優先すべきか?というシチュエーションを想像すると話が早いでしょう。これはかなり悩ましい問題です。


そう考えると、「前門の虎後門の狼」とまでは言いませんが、生活者ターゲティングをやめてエコノメトリクス的なマーケティングに移行してもまた別の問題に直面する、ということになるのかなというのが個人的な感想だったりします。ただ、この流れが止まることはないと(特に社会の時流を見る限りでは)感じているので、否応無しに新たな問題にぶつかっていくしかないのでしょう。


コメントなど


紹介記事ではあくまでも「one-to-oneマーケテイングは終わる→エコノメ的なマスマーケティングに移る」という話をしていますが、個人的には「集計済みパフォーマンスデータを多変量解析してクリエイティブに活かす」という方向性もあり得るのではないかと思っています。実際それでそこそこ成果を挙げたこともあります*4が……という話ばかりしているとただのポジショントーク満載になってしまいますので、この辺でやめておきます。お後がよろしいようで。