渋谷駅前で働くデータサイエンティストのブログ

元祖「六本木で働くデータサイエンティスト」です / 道玄坂→銀座→東京→六本木→渋谷駅前

杜氏のいない蔵元が示した「データ分析さえすれば職人の技を職人抜きでも再現できる」という事実の凄み(追記あり)

先日、とあるコンサルの社長さんとお酒を飲みながらお話していて出てきた話題が「畢竟データ分析って何の役に立つんだろう?」というものだったんですが、そこで僕が思い出して紹介したのが「獺祭」で世界進出を成功させている旭酒造のエピソードだったのでした。


ということで、その事例を振り返りながら久しぶりにちょっと与太話でもしようと思います。


http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/20140116.html


ちなみに上ははてブでも大きな話題を呼んだ東洋経済の特集記事ですが、僕にとってはテレ東カンブリア宮殿で紹介された時の映像の方が遥かに衝撃的でした。


「獺祭」は杜氏でも何でもない普通の社員が、データに基づいて一挙手一投足を決めながら仕込んでいる


東洋経済の記事では割とざっくりとしか書かれてないんですが、カンブリア宮殿で放映された映像では獺祭の製造工程のうち、「蒸し」と「麹造り」の工程が紹介されていたんですね。


で、びっくりしたのが麹室に置かれた、蒸し米を広げる台。ここのほぼ全面に温度センサがついていて、0.1度刻みで蒸した米の温度を測れるようになっているわけです。その温度を担当の社員が読み上げていって、必要な作業ごとに定められた蒸し米の温度に達した瞬間に、全員でその作業に一斉に取り掛かるという流れでやっているみたいです。


ポイントは、蒸し米などなどの状態がセンサでリアルタイムで監視されていると同時に、例えばコウジカビ胞子を振りかける作業など含めて全ての一挙手一投足に至るまで、細かく数値的に定められていて「完全に数値的に定められた通りに作業する」ことが作業者に求められていること。僕の記憶が間違ってなければ、コウジカビを振りかける動作ですら「何cmの高さから何秒に1回容器を何度まで傾けて振りかける」というレベルで完全にデータに基づいて厳格にマニュアル化されていたはずです。


そしてこれも僕の記憶が間違っていなければ、このデータに基づいた厳格なマニュアル化の結果として新卒入社1年目の社員ですら獺祭の仕込みに参加できるようになっているということだったはずです。データさえあれば、何十年もの経験を積んだ熟練の杜氏でなくても本格的な銘酒の仕込みができる。。。それを見た衝撃はなかなかのものでした。


ちなみに、この「データドリブン日本酒造り」に転じるきっかけは東洋経済の特集では触れられていませんが、カンブリア宮殿の取材で語られているように「様々な事情があって当時の杜氏に逃げられてしまったから」だったようです。どちらの記事にも出てきますが、今は社長自ら獺祭の製造工程にかかわる全データを部屋一面に張り出してチェックし、全体の方向性を決めるという「データ経営」にして「データドリブン醸造」を行っている、とのことでした。


データ分析の神髄のひとつは「再現性」である


ここで最初の疑問に戻るんですが、では旭酒造は何故データに基づく日本酒造りに舵を切ったんでしょうか? それはもちろん残念なことに杜氏に逃げられてしまったからなんですが、同時に杜氏の経験がなせる業を『再現する』」ことに執念を注いだ結果なのでしょう。


よくデータ分析という取り組みへの批判として「いくらデータ分析したとしても現場のベテランなら誰でも知っているような結果が出なければ無意味だ」ということが言われることがありますが、この旭酒造の取り組みはむしろそれをあえて地で行くことで成果を挙げているように見えます。


つまり「データ分析によって現場のベテランがやっていることと同じことを、ベテランの知恵を借りずとも再現できる」ということに着目した結果が獺祭の成功である、と言って良いでしょう。しかもデータをためて分析することによって、もしかしたらベテランの知恵では分からないことがあったとしても、それをカバーすることすらできるかもしれない。。。データ分析が仮に現状の追認になったとしても、そこには意味があるかもしれないというわけです。


これは、いわゆるアドホック分析でも、はたまたアルゴリズム実装*1でも、基本的には変わりません。優れたレコメンドシステムがあれば、例えば経験豊富なコンシェルジュが個々のお客様に似合う洋服や帽子を選ぶ役割を再現し代行してくれるわけで、もちろん高精度の統計モデルがあれば例えば敏腕プロデューサーがいなくてもCM予算の時間帯ごとの配分を最適に決められるというわけです。


データ分析では決められないことを決めるために、人間がいる


ところで、旭酒造の社長は東洋経済の取材に対してこんなことも語っておられます。

100人いたら90人は「データでわかること」を基に、1+1=2と素直に理解して実践してくれればいいのです。そのうえで残り10人ほどのリーダーになる人が、「数字ではわからないことがある」ということをきちんと理解して指導や判断をしないといけない。


当たり前ですが、データ分析は万能ではありません。仮に統計学機械学習を駆使した高度なモデルを使いこなしていたとしても、それは「データで分かること」に対してアプローチできるに過ぎません。データでは分からないことや、そもそもデータが取れないこと*2については、依然としてその限界を認識した上で人間が考えて決めなければいけないわけです。そのことを、旭酒造の社長はよく理解しておられるのでしょう。


全く同じことが、その他の業界のデータ分析についても言えると僕は思ってます。どれほどデータ分析が進歩し、「ビッグデータ」の掛け声とともにありとあらゆるデータが得られるようになったとしても、依然として「データが取れない部分」はありますし、もっと言えば「データはあるけど変化が小さ過ぎてデータからは何も傾向が読み取れない」*3こともあります。


そういう時に、データ分析で分かる限界を踏まえた上でデータ分析の結果に基づいて意思決定し、必要とあらばデータ分析の枠組み自体を変える決断をする人物が、必要だということです。旭酒造のケースではそれはずっと社長がやっておられるわけで、同じような取り組みがありとあらゆる現場で今後は必要になるのだろうなぁ、と期待も込めて現状を眺めている次第です。


追記(2017年12月)

何とこちらの記事をお読みになった上で、わざわざ旭酒造の見学に行かれた方がいらっしゃったようです。詳しいレポートは是非リンク先の記事をご覧いただければと思います。

*1:レコメンドシステムなど

*2:例えばワインの「ミネラル」という味の要素は化学分析に全く引っ掛からないことが知られていますね

*3:まぁこれが案外複雑な統計モデルを組んでMCサンプラーで推定したら綺麗にパラメータが推定されることもありますが