以前こんな記事を書いたことがあります。
「社員全員Excel経営」で名高い、ワークマン社のサクセスストーリーを論評したものです。2012年にCIOに就任した土屋哲雄常務のリーダーシップのもと、取引データの完全電子化を皮切りに「全社員がExcelを使いこなして数字とデータで経営する」戦略へと移行し、社内のExcelデータ分析資格を一定以上取得しないと管理職に昇進できないとか、はたまた幹部クラスの企画・経営会議ではデータに基づかない議論や提案は相手にすらされないとか、「Excelを社員全員が使えるようになるだけでもここまで企業カルチャーは変わり得るのか」という事例のオンパレードで、関連記事や書籍を読んでいて舌を巻いたのを覚えています。まさしく「ワークマンのすごいデータ活用」だったのです。
一方、個人的に強く印象を受けたのが土屋常務が様々なところでコメントしていた「我が社には突出したデータサイエンティストは要らない」というフレーズと、「社員全員がExcelを使えればAIの必要性は低い」という趣旨のコメントでした。勿論、高度な統計分析や機械学習のビジネスへの適用を生業とするデータサイエンティストたる我が身としては、それらのコメントはちょっとだけ残念に感じたものの、同時に「社員全員Excel経営であればそんなものはなくても十分なのか」と感嘆したものでした。
……ところが。最近以下のメディア報道を見かけて、僕は思わず大きな声を上げてしまったのでした。「おおおーーーーー!!!」と。
だが、Excelとて銀の弾丸ではない。データ分析が浸透したワークマンには、新たな課題が生じている。それは、分析内容が高度化するにつれ、Excelでは時間がかかるようになってしまったことだ。
たどり着いた2つの解決策。それは、データ分析に適したプログラミング言語「Python」の習得をはじめとした社内教育の充実。そして、AWSのBI(ビジネスインテリジェンス)ツールの活用だ。
何と、ワークマン社では「社員全員Excel経営」で飽和点にまでたどり着いた全社共通のデータ分析レベルを超えていくために、自主的にPythonを用いたデータサイエンス技術の導入を図り、さらにクラウド(ここではAWS)の導入でスケーラビリティの追求をも目指し始めていたというのです。
ということで、今回の記事では「社員全員Excel経営」がいかにして「社員全員データサイエンス経営」へと進化しつつあるかについての解説を試みると共に、何故ワークマン社ほどデータ活用が全社的に普及した企業であっても「データサイエンス経営」に行き着くのかという理由について、個人的に考えていることを論じてみようと思います。なお、既にお気付きの方も多いかと思いますがこの記事は「データサイエンスは企業経営に大事ですよ」という僕のポジショントークですので、そこは割り引いてお読みください(笑)。
「Excelの限界」を超えるためのデータサイエンス
先述した通り、元々ワークマン社はかなり積極的な理由をもって「社員全員Excel経営」を志向していました。それは「会社全体にデータドリブンなカルチャーを浸透させるため」であり、さらには以前のこのブログの記事でも紹介した通り「(ブラックボックスのAIとは違ってExcelを使えば)自分で考えるようになるから」だというのが土屋常務の狙いだったようです。
「ワークマンのデータ活用の原則は『浅く広く』。知識が浅い分を衆知という広さで補う。皆で考えて進化させていく。AIのようなスーパーパワーではなく、普通の人の知恵を集めて経営していくのが理想。それなら、むしろエクセルのほうがいい」(土屋氏)
かくしてワークマン社はマーケティング業界でもなかなか聞かない「リアル店舗A/Bテスト」を敢行したり、経営幹部が集まる会議でもデータを伴わない議論は相手にすらされなかったりするという、日本国内では他に例を見ないようなデータドリブン経営を推進する代表的な企業となったのでした。
一方で、「社員全員Excel経営」さえ成れば突出したデータサイエンティストは要らない、というのもまたワークマン社のデータ活用の話になると必ずついてくるフレーズでした。これは土屋常務ご自身の著書では何度か開陳されている文言であり、僕はそれを読んで「なるほど確かにデータサイエンティスト的な仕事は『ごく一部のメンバーがデータとその活用に通じてスケールさせる』という発想のものが多いので、社員全員がデータ活用できるなら確かに要らないかもな」と思ったものです。実際にワークマン社の社員全員Excel経営はコロナ禍に突入した後も過去最高益を更新するという快進撃を続けており、そこに何か手を加える必要はもはや無いように見えたのも事実です。
ところが、ワークマン社の中では「社員全員Excel経営」が浸透し切ったことで別の壁にぶつかった……というのが、今回ご紹介しているメディア記事の中で語られている事態です。
ワークマンは、12年から全社でExcelスキルを高めていき、13年に小売向けBI(ビジネスインテリジェンス)ツール「d3」を導入した。ここまではスムーズだった。しかし、BIを使い始めると、分析したいことがどんどん複雑多様化し、Excelの範疇を超えていった。
データ戦略部の長谷川誠さんと店舗エンジニアリング部の森池翔さんは、独学でPythonを使い始めた。
「例えば、雪関連商品がよく売れる店舗群をグルーピングし、もっと売れる売り場の構成を考えようとすると、クラスター分析や少々ややこしい時系列の回帰モデルが必要で、Excelでは膨大な時間がかかってしまうのです。統計解析ソフトを使ってみたのですが、こちらは分析するまでの準備が面倒で……。そんなとき、ネット検索で知ったPythonを試してみたら意外と簡単だったんです」(長谷川さん)
過去に何度かあったデータサイエンティストブームのたびに語られていた「Excelだけではカバーし切れないデータ分析を進めるためのデータサイエンス」の有用性が、ついにワークマン社の関心を引いた瞬間だったのでしょう。
事態はこれに留まらず、コロナ禍でも快進撃を繰り広げた「ワークマンプラス」ブランドもまたExcelに閉じないデータ活用体制を開拓するきっっかけとなったようです。
Pythonを使った現場の創意工夫は、ほかにも見られる。
急成長には痛みが伴う。18年にオープンした一般向けのアウトドア・スポーツウエア専門店「ワークマンプラス」のヒットで最初に悲鳴を上げたのは、ロジスティクス部門だった。急激な需要過多で在庫管理が破綻。どの店舗・倉庫に在庫があり、どの店舗・倉庫で欠品が発生しているのか分からない状態に陥った。
普通の会社なら人員を増やして対処するかもしれない。しかし、ロジスティクス部門のメンバーは、Pythonの本を買ってプログラムを組み、3時間の業務を20分に短縮するなど、ひたすら自動化することで持ちこたえた。Excelで鍛えられたITの素地が存分に生かされた格好だ。
あれほどまでに「社員全員Excel経営」の成功が喧伝されたワークマン社が、社員全員Excelマスターに飽き足らずに向かった先はPythonによるプログラミングそしてデータサイエンスだったというわけです。しかも社員個々人が創意工夫してExcelで多彩なデータ分析を繰り広げるのが当たり前のカルチャーだったからこそ、「自主的にPythonの勉強をして習得&その成果を実装して業務につなげる」ということもまた当たり前のように行われ、尚且つ社内でも受け入れられたのでしょう。
さらに驚くべきは、かつてExcelデータ分析の社内資格制度を設けて「社員全員Excel経営」を推進していたのと同じように、今度はデータサイエンスの社内資格制度を始めた点です。上記のメディア記事には以下のように書かれています。
自力で難局を乗り切ったことで、社員の自主性と学習意欲は一気に高まった。21年には、全社員を対象としたデータサイエンスの社内資格認定制度を開始した。最上位のデータ分析エンジニアまでコンプリートすれば、報奨金は42万円になる。
「みんなで盛り上げて、切磋琢磨しながら全体のリテラシーを高めています。楽しく学ぶのが一番伸びますから」(長谷川さん)
22年11月末現在、分析チームは35人、データサイエンティストは14人、データ分析エンジニアは3人。社内資格認定者は全社員350人中52人にまで増えている。
「突出したデータサイエンティストは要らない」とまで公言していたワークマン社ですが、君子豹変すとはまさにこのことですね。私見ですが、このまま行けばいつかワークマン社の全社員350人の大半が(社内資格上の)「データサイエンティスト」になることになりそうだと思われます。
勿論、現代の実務データサイエンス業界から見ればまだまだ初歩的な取り組みに留まるように感じられるところもありますが、それでもワークマン社の「社員全員Excel経営」が「社員全員データサイエンス経営」へと進化していくプロセスには目を見張るものがあります。今後も同社の「データ活用の進化」には目が離せないなと思う次第です。
「データ分析の民主化」の理想像:誰でも取り組めるものを足掛かりとして、より高みと深みを目指す
ところで、少なくともこの10年に渡って僕が業界事情を観察してきた限りでは、実務データ分析の領域においては割と根強い路線対立(というか路線分化)があったように思います。それは大まかに言って、
- Excelなど誰でも使えるツールに限定して、データ分析を広く浅く誰にでも行えるように普及させるべき
- 統計学や機械学習及びそれらを実装するプログラミングなどを重視して、データ分析はより深く実践できる専門家に委ねるべき
という二軸に分かれるものでした。これは現在もある程度生きていて、実際に毎年出版されるデータ分析関連書籍を眺めていても基本的にはこの二軸のどちらかに分類されるという印象があります。
例えば、このブログの読者の皆さんからすると意外かもしれませんが、2022年現在でも「Excelで簡単に実践できる〇〇分析」的なテキストは少なくない数が出版されています。個人的な理解では、その軸の延長上にデータ可視化ツール・ソフトウェアの普及もあるのだろうと見ています。これもまた「データ活用を広く浅く普及させる」試みであると言えるでしょう。
そして前掲のワークマン社(そして立役者であられる土屋常務)の立場としては徹底して前者を推進し、後者は二の次とする、という典型的なこの路線分化に沿った戦略を取っていたわけです。それによって大成功を収めた同社が、このまま前者の戦略を堅持して「広く浅くデータ分析を実践」という流れのまま行くのかと思いきや、「満を持して」データサイエンス経営に向けて転換してきたという点に今回のニュースの最大のポイントがあると思うのです。
これは単純に考えれば「Excelで提供可能なデータ分析手法には限りがあるから」という話に過ぎないのですが、先述したようにこれは「社員全員Excel経営で幅広く素地が出来ていたところに、Excelの限界を超えるデータ分析課題が生じたことで、自主的にExcelに頼らずPythonとクラウドを活用したデータ分析にステップアップする機運が生まれた」ということに他なりません。
即ち、先に触れた二軸の路線分化(対立)は実は分化でも対立でもなくて、「前者(社員全員Excel経営)はそのまま後者(社員全員データサイエンス経営)へとステップアップしていくための素地となりうる」ということをワークマン社の事例は示しているわけです。
以前のブログ記事でも論じたことがありますが、どれほど高度なデータ分析であっても生データそのものに対する深い理解と洞察はなされて然るべきだと個人的には考えています。その「深い理解と洞察」は、どちらかというとデータサイエンティスト以下専門家ばかりに頼るよりは、現場でビジネス実務を担う人々に広く問うた方がむしろ彼らの経験と知恵に基づいたより確かなものが得られるのではないでしょうか。
「社員全員Excel経営」は、まさにそれらの深い理解と洞察を経験から学んでいる現場の人々にデータ分析の初歩を身につけてもらうことで、「より高度なデータ分析が必要か不要か」を見極めるための素地を作り出してきたとも言えそうです。特にワークマン社の場合は、単にExcelの関数を使いこなすだけでなく分析マクロの開発を行うということもやっているということで、意図的かどうかはともかくとしてコーディングへの抵抗感を抑えることにも成功していたのかもしれません。
かくして、Excelで出来ることの限界に気付いた社員たちが、自主的にPythonとデータサイエンスを学んで実践することで課題を解決し、さらにはクラウド環境の導入でスケーラビリティにも目を向けるようになった……というのがこの度のワークマン社の事例が示していることで、これこそが「データ分析の民主化」の理想像なのではないかと思っています。個人的には、他のまだデータ活用カルチャーが根付いていない企業や組織にも、是非このワークマン社の事例を参考にしてもらいたいと願う次第です。