先日、『しっかり学ぶ数理最適化 モデルからアルゴリズムまで (KS情報科学専門書)』の梅谷先生がこんなポスト(ツイート)をされているのを拝見したのでした*1。
個人的には「学問的なものでビジネスのボトルネックを解消する」や「学問的なものでビジネスモデルや業務プロセスをひっくり返す(変革する)」を意識してる。ビジネスモデルや業務プロセスを分析して、解消すべきボトルネックを見つけることから着手した方がスムーズかなと思ってる。 https://t.co/F2SBY57Vt7
— Umepon (@shunji_umetani) 2023年9月25日
既にこのブログでも何度も述べていますが、いわゆる「データサイエンス」がここ10年の企業社会におけるビジネスに変革をもたらしているということは論を俟たないと思います。その観点から言えば、程度問題ながら「学問的なものでビジネスのボトルネックを解消する」「学問的なものでビジネスモデルや業務プロセスをひっくり返す」という営みは、既にビジネスの場たる産業界には定着しつつあると言えるでしょう。
しかしながら、ビジネスの現場に身を置く立場からすると「学問的なもの」が浸透しているという印象は弱く、あくまでも「データサイエンス」(統計学・機械学習とその関連分野)という一領域が市民権を得つつあるに過ぎない、という感があります。そこで、今回の記事では最近ネタ切れなのもありまして「ビジネスにサイエンスを持ち込む」とはどういうことなのか、というテーマ*2について考察してみようと思います。
100年以上も前から存在する「科学的管理」の概念
これは経営学を学んだりMBAを取ったことのある方ならご存知のことと思いますが、ビジネス(経営)において科学的アプローチを活かそうという試みは実は100年以上も前からある考え方なんですね。世に言う「科学的管理」という概念です。
フレデリック・W・テイラーが1911年に著した、その名もズバリ『科学的管理法』という書籍にその詳細が書かれていて実に興味深いです。例えば、テイラーは製鋼所で労働者たちに「これから与える指示を遵守する限りは高い報酬を約束する」「その代わり指示を守れない場合は解雇する」と厳命した上で、様々な「肉体労働における業務ルールと生産性との関係」に関する実験を行っています。そのうちの一つ、鉱石をシャベルですくって貨車から移し替える作業に関する実験では、労働者たちにシャベルで一度にすくう量を変えさせながら、疲労度や休憩に要する時間なども考慮した上で一日当たりの鉱石移動量を算出し、「一度にシャベルですくうべき最適量」を算出しています。また、その結果に基づいて最適量を確実にすくえるシャベルを特注して全員に支給するという「アウトプット」まで用意していました。
「科学的なアプローチで経営上の課題を解決し、その解決策をも実践する」という、現代にも通じるマネジメントのためのサイエンスという取り組みが既にこの頃からなされていたわけです。割と近年まで「ビジネスのためのサイエンス」という考え方は洋の東西を問わず久しく忘れ去られていたようにも見受けられますが、その萌芽は実は20世紀の初頭に現れていたのでした。
一つ重要な点を挙げるとすれば、テイラーは「根拠があり客観的に誰が見ても納得する最適解を得るため」に科学的管理法を実践していたように見える、ということでしょう。即ち、普遍的真実というのは言い過ぎにしても、現代的に言えばevidence basedな知見を得て、それに拠って意思決定することを目指していたのではないでしょうか。言うなれば「正しい意思決定」のためのサイエンス、ということかなと。
MBAの教科書などを読めば分かりますが、これは現代の経営学から見たマネジメントの概念の元祖の一つとされているようです。一方でこの科学的管理法に対する批判や反発もその後続々と出てくるようになり、紆余曲折が100年ぐらい続いた後に現代的な経営学やマネジメントの考え方へと繋がっていっていると見られます。本当はもっと厳密な議論があるということがMBAや経営学のテキストでも指摘されていますが、僕の専門ではないのでここでは一旦置いておきます。
「データサイエンス」はビジネスにおけるサイエンスなのか
では、2010年代から本格的に勃興した「データサイエンス」は、ビジネスにおけるサイエンスなのでしょうか? この点については、多分業界内でも議論が分かれるのではないかと考えています。
例えば「すごいデータ活用」で名高いワークマン社は、確かにデータ活用によってロジカルかつ合理的な経営を推進していますが、「リアル店舗A/Bテスト」すら敢行する同社の姿勢は明らかに「科学的(サイエンティフィック)」と言っても差し支えないでしょう。それは、全ての数値的なものを徹底して電子化し、仕入れから売り上げから来客数に至るまであらゆる数字が電子データとして処理することが可能になったがゆえに、「ビジネスの場でサイエンスをする」ことが容易になったということが大きいものと思われます。
しかしながら、データ分析*3の「使い方」によってはサイエンスの名に悖る事態に発展してしまうことも珍しくありません。上記の以前のブログ記事で論った件は好例で、統計分析を「欲しい結果にお墨付きを与えるための方便」として使わんとしたがために、むしろサイエンティフィックというには程遠い帰結に至っています。ただ、そのように「ゴールポストの方を動かす」が如き統計分析の使い方*4が蔓延している科学研究分野も少なくない*5ので、どちらかというと基礎科学研究としてのサイエンスの方こそしっかりしろと叱咤したい感もあるのが嘆かわしいところです。
一方で、意思決定のために情報を扱うのはサイエンスではなく「インテリジェンス」ではないか、とは畏友しんゆうさんの長年の主張で、この点には僕も首肯する次第です。その意味では、現在のビジネスにおけるデータサイエンスはサイエンスというよりインテリジェンスとして用いられていると言った方が適切なのかもしれません。
とは言え、かつて基礎科学研究に従事する科学者(サイエンティスト)だった身としては、僕個人としてはデータサイエンスはやはり「普遍的で汎化され得る何か」を得るための「サイエンス」であって欲しい、という願望があります。もう少し踏み込んで言えば、冒頭に引用した梅谷先生の言にもあるようにやはり「サイエンスこそがビジネスの現実の課題を突破するブレイクスルーとなって欲しい」という、素朴な期待感と身贔屓があるからです。
一つ難しいと思われる点は、少なくとも僕の観測範囲に限って言えば「ビジネスの場におけるサイエンス」として現在受容され得るのはどう見ても「データサイエンス」だけに留まる、という点でしょうか。つまり、データサイエンスが人口に膾炙した結果として遍く企業社会では広くその意義が理解されるようになった一方で、科学的(サイエンティフィック)な物の考え方そのものは今もあまり理解されていないということです。もっと具体的に言えば、帰無仮説有意差検定や統計的学習モデルは広く受け入れられるようになったにもかかわらず、うっかりすると交差検証や再現性といった概念はないがしろにされることが未だにある、という話です。
今後のビジネスにおけるサイエンスの立ち位置とは
上述したように、データサイエンスの勃興と浸透は明らかにビジネスの世界に「サイエンス」を幾許かでも持ち込む結果になった、というのが僕の認識です。他方で、「データサイエンス(サイエンスではない)」が人口に膾炙した帰結として「サイエンスの考え方」は未だにビジネスの世界に定着したとは言い難い、という現実もあると見ています。それは「ゴールポストの方を動かしてしまう」事例が相次いでいるのを見れば明らかです。
加えて、現状のビジネスにおけるサイエンスというのは既に見てきたように、正確には「科学的方法」のことを指していると解釈した方が良いでしょう。即ち、「断片化された散在している雑情報あるいは、『新たに実験や観測をする必要がある未解明な対象』に関連性、法則を見出し、立証するための体系的なアプローチ」を取ることそのものが、ビジネスの場においては「サイエンス」だと見做されており、実際にそのように機能することがサイエンスに求められているということです。上記のWikipedia記事には幾つかの切り口が紹介されていますが、少なくとも現在のビジネスの世界においてはサイエンスが持つ「定量性」という側面を活用しているように見受けられます。A/Bテストが様々な業界で行われるようになったのも、効果検証の定量化が重視されるようになったためではないでしょうか。
その意味で、今後のビジネスにおけるサイエンスの立ち位置がどうあるべきかを考えた場合に、重要になってくるのは基礎科学研究同様にやはり「再現性」ではないかと個人的には考えています。既にある程度「定量性」が導入されてきていることを鑑みれば、次に重視されるべきはその知見のロバストさ、もしくは再現性であるべきというのが僕の立場です。
例えば、僕が主戦場とする広告マーケティング業界ではエコノメトリックな分析がルネサンス的な再注目の的となっており、その方法論の一つとしてのMMM (Media/Markeing Mix Modeling)が広く実践されるようになってきています。しかし、その実態は統計的学習モデルであり、さらにはその推定量には現実社会における様々な制約やバイアスによって不偏性を保証しづらいという問題があります。そこでMMM単体で閉じさせるのではなく、「交差検証としての」A/Bテストを必ず伴わせるべきだ、という話を以前の記事で書いていたりします。これによって少しでも「再現性」を高めたい、というのが個人的な狙いです。
後は、「データサイエンス」に留まらない「サイエンス」がどこまでビジネスの世界に浸透し得るかという話ですが、僕自身の知識の範囲では例えば力学的モデルの適用とか微分方程式系のモデルの援用といったところしか思い付かない有様ですので、この記事では深入りは避けます。どちらかというと「サイエンス」というよりは「数学という学問(大学教養課程以降)」のビジネスへの導入の方が見込まれているのかな、という気がしています。例えば、鉄道乗り換え案内やタクシー配車などのアプリではグラフ理論による最適化が行われているということは有名な話ですし、今後も類似の事例は出てくるものと見て間違いないでしょう。
いずれにせよ「サイエンス」そして「学問的なもの」によって従来ないがしろにされてきたビジネス上のクリティカルな問題の解決を試みる、というアプローチは「データサイエンス」の浸透によって今後も拡大していくのではないかと個人的には期待しています。この辺の組織文化ないし業界文化的なものの進歩については、もしかしたら経営学などの方面で体系立てられた調査や検証がなされるべきなのかもしれませんが、流石に僕の守備範囲を超えるので一旦置いておきたいと思います。