渋谷駅前で働くデータサイエンティストのブログ

元祖「六本木で働くデータサイエンティスト」です / 道玄坂→銀座→東京→六本木→渋谷駅前

名著『パニックの心理』が解説する「社会不安に駆られた人々が買い占めに走る」理由

趣味が悪いと言われるかもですが、中高生の頃から何故か愛読していた本の中に『パニックの心理』(安倍北夫・講談社現代新書)があります。この書籍が論じている内容が時節柄タイムリーな話題と思われたので、このブログの主題とは直接関連しませんがちょっとご紹介させていただこうかと思います。


ちなみに、実家にいた頃は親父が趣味で買い集めた新書類が廊下の戸棚にぎっしりと並んでいたので、それを暇に任せて読み漁るのが中高生以来のちょっとした趣味だったのでした。今の僕の雑学知識を支えているのはそれらの新書たちなのですが、その中でも特に僕の印象に残り続けたうちの一冊が本書です。


なお、僕自身はかつて認知神経科学認知心理学神経科学のハイブリッド分野)を専門としていた元研究者で多少心理学に関する学識もありますが、本書が扱う災害心理学及びその母体となる社会心理学については完全に専門外ですので、内容が不確かな点についてはご容赦ください&どしどしご指摘ください。また、50年近く前の本ゆえその内容についてもout of dateかもしれませんので、その点も予めご了承ください。

パニックが多くの人々の生死を分けた悲劇


本書は1974年に刊行されたこともあり、中で引用されている事例もかなり古いものが多いです*1。以下にその主な事例の一覧と、本書でも取り上げられている概要をまとめておきます。

  • 1972年マナグア地震:1972年のクリスマスイヴ前夜にニカラグアの首都マナグアで発生した直下型地震。M6.3と規模は小さかったが当時まだ発展途上で日干しレンガ作りの建物が多かったマナグア市街は一瞬にして崩壊、さらに直後の大火で多くの建物が焼失した。また元々治安が悪い地域だったが震災のパニックに駆られて被災地を荒らす窃盗や武装強盗が横行。最終的に4000〜11000人が死亡、30万人以上が家を失ったとされる*2
  • 大洋デパート火災:1973年に熊本の大洋デパートで発生したビル火災。下層階(2〜3階の間)が火元だったため、状況を把握できない上層階(特に6階)の客や従業員がパニックに陥った上、屋上に通じる非常階段による「煙突効果」もあり煙が猛烈な勢いで回った。結果的に103名が死亡(この中には煙に耐え切れず窓から飛び降りて死亡した犠牲者も含まれる)するという大惨事になった
  • 千日デパート火災:1972年に大阪・千日前の千日デパートで発生したビル火災。これも下層階が火元で、上層階のキャバレー「プレイタウン」の客と従業員が夜間で照明が消えた暗闇の中、猛烈に吹き上げる煙に巻かれて多数がパニックに陥り、適切な避難行動が取れず大混乱に。また大洋デパート火災同様煙に耐え切れずに下に群がる野次馬が止めるにもかかわらず飛び降りて墜死する犠牲者が続出(22名)。最終的に118名が死亡する大惨事となった
  • オイルショック時の買い占め騒動:1973年に発生したオイルショックに伴い、政府が「紙の節約」を呼び掛けたところ、一部のスーパーが「紙が売り切れるかもしれない」と煽ってトイレットペーパーを大量に販売したのをきっかけに日本全国でパニックに陥った多数の消費者によるトイレットペーパーの買い占めが続発。果ては洗剤や砂糖などの生活物資にまで買い占め騒動が波及した
  • 旧国鉄順法スト時の大衆騒乱(首都圏国電暴動):1973年にスト権のなかった旧国鉄の労組が「あえて法律を厳格に遵守することでストライキ同様の運行遅延や混乱を起こす」という運動を行った結果、終電を逃すなどして行き場を失った多数の乗客が暴徒化。上野駅では駅施設が破壊され商店が荒らされるという暴動に発展した
  • パニック・ドア実験:本書の著者の研究室で実施した、マウスを用いた動物実験*3。1ヶ所だけ隠し扉をつけた檻にマウスを1匹だけ入れて、檻の下に可燃材を置いて火をつけると、マウスは暴れ回ったものの最終的に脱出に成功した。だがこの脱出に成功した経験マウス1匹に加えて新たに4匹の未経験マウスを檻に入れて同じことをやると、経験マウスがどれほど脱出しようとしてもパニックに陥って暴れ回る他のマウスたちに悉く邪魔をされて、結局5匹全てが焼死するという結果に終わった(詳細は後述)
  • 電気ショック版パニック・ドア実験:こちらは「災害の体験を得た個体は他の未経験の個体をリードするかもしれない」という期待のもと、上記の火を使うパニック・ドア実験を電気ショックに置き換え、何度か電気ショックを受けたのちに隠し扉から脱出した経験を持つマウス5匹と未経験の5匹との合わせて10匹を檻に閉じ込めて、隠し扉から脱出するまでの時間を2組(10匹×2=20匹)に分けて測定したもの。脱出時間の中央値には2群で明確な差が出た上に、実験を打ち切るまで脱出できなかった未経験マウスが2匹いた(詳細は後述)

新書という体裁も相まって、本書ではこれらの個々のケースにフォーカスを当て個別に解説しているせいか全体を通した本質的な議論が弱いという印象が強いため、この記事ではそれぞれのケースにフォーカスするのを避けていきなり本質的な議論について紹介することとします。


パニックの帰趨を決める「プラス」と「マイナス」


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(p.158の図を縦長から横長の配置に改変した)

本書で一貫して指摘されているのが、第7章で詳細に述べられている「プラス」と「マイナス」という理論です。著者によれば、災害や社会不安の中にあっては人々は

  • そこから逃げ出したいという「マイナスの場」
  • そこに留まりたいという「プラスの場」

の両方を見出し、端的に言えば人々は「マイナスの場」を避けるかあるいはそこから逃げ出し、「プラスの場」に惹きつけられ滞留(粘着)する、とされています。上の図は、左がビル火災のような「閉鎖領域内の明示的なマイナスの場」と「領域外に可能性として存在するプラスの場」がある災害パニックのケース、右が社会不安下での買い占め騒動のような「基本的不安としての不明瞭なマイナスの場」と「不安の解消につながりそうなプラスの場」がある経済パニックのケースを表しています。


これが、例えばビル火災のようなシチュエーションであれば「煙突と化して黒煙が猛烈に吹き出す広い階段」などが「マイナスの場」で、対して「防火シャッターが降りた後の中央階段」「外側に開く窓」「簡単に開きそうな外に通じるドアや仕切り板」が「プラスの場」だということになります。しかし、本書によれば「プラスの場」が実際に災害から逃れるための最適な「場」とは限らないということが事例を引いて指摘されています。千日デパート火災の際は、ビル内のダクトから階下の火元に由来する一酸化炭素を大量に含んだ黒煙が吹き出し(マイナスの場)、これから逃れようとした客や従業員は実際に上記のような脱出可能経路に殺到したそうです(プラスの場)。しかしながら、シャッターを不用意に開けた結果煙突と化した中央階段からは黒煙が大量に吹き出し逆効果になった挙句そこで右往左往して転んだ人々が次々と一酸化炭素中毒で倒れ、はしご車の来なかった窓にたどり着いた客は運を天に任せて飛び降りて全員が犠牲になり、改築中だった隣の劇場に通じる仕切り板は工事の進行に伴いブロック塀で二重に覆われていてそこで諦めきれずにブロック塀を壊そうとして力尽きた犠牲者が多数に上ったと記されています。中には更衣室に逃げ込んで自分のロッカー(プラスの場)に自ら死力を尽くして嵌まり込み、そのまま一酸化炭素中毒で亡くなったホステスもいたようです。


一方、オイルショック時のトイレットペーパー買い占め騒動の際は、まず第四次中東戦争の勃発による漠然とした社会不安の発生と当時の政府による「紙の節約呼び掛け」という紙製品不足への懸念の広がりがあり(マイナスの場)、これに対して一部地域のスーパーマーケットによる「紙製品の特売」という広告活動が行われ(プラスの場)、結果的に大量の消費者が紙製品そしてトイレットペーパーに殺到して買い占め、果ては洗剤や砂糖など他の生活必需品の買い占めにまで発展したのでした。なおWikipedia記事によれば、最終的に当時の政府が買い占め対策として2つの法的措置を行たことによって4ヶ月後にようやく収束したそうです*4


この2つのシチュエーションは一見大きく異なるように見えますが、著者は「本質的には同じだ」と指摘します。すなわち、どちらも「マイナスの場」からの逃避と「プラスの場」への誘引で説明がつく、と。さらには「プラスの場」へ至る道が狭まるもしくは閉ざされようとするとさらに人々が殺到し、パニックは激烈なものになると言っています。


ビル火災であれば、迫りくる炎や黒煙という「マイナスの場」に対して窓や非常口と言った「プラスの場」が適切に機能せず、例えば最後に残った狭い非常階段だけがかろうじて屋上に通じているという状況であれば、その限りある「プラスの場」に群衆が殺到して大混乱になるわけです。それと同じことが、物資不足の可能性から来る社会不安という「マイナスの場」の中で、生活必需品の確保という「プラスの場」が例えば他の群衆による買い占めで閉ざされかければ、さらに多くの群衆が殺到して奪い合いになる、という形でオイルショック時のトイレットペーパー買い占め騒動では起きていたと言うのです。


ただし、著者はこの2つのシチュエーションには多くの類似点があるが同時に差異もあると言っています。一つ目は、災害パニックの場合「マイナスの場」は一過性なので「(本物の)プラスの場」に至ればそこで終了するが、経済パニックの場合は人々がさらにそこに執着する傾向が強い点。二つ目は、災害パニックの場合は「マイナスの場」からの逃避という側面が強いが経済パニックの場合は「プラスの場」への集中という側面が強いため、やはり経済パニックの場合はそこへの粘着性が出る点。最後に、経済パニックの場合は物資の獲得という「必ずしも一度の獲得で満足するとは限らない」体験を求めることになるため、不足感があると却って執着が強まりがちな点です。


この指摘に基づくなら、社会不安に駆られた群衆による買い占め行動は「適切に物資が補給されれば時間の経過とともに解消されるが、補給が不完全ならパニックは続く上に、根本的な社会不安そのものが解決しない限りはいつまでも続く」ということになりそうです。


なお、今回の記事ではフォーカスを当てていませんが、上記の首都圏国電暴動について本書は「パニックからモッブ(騒乱)」に移行した例として挙げています。この場合は「電気ショックを与える動物実験でマウス10匹を檻の中に入れて脱出口を探させて逃げさせるようにしたら、最後まで残ったマウス2匹が協力して脱出口を探すどころか『こんなひどい目に遭うのはお前のせいだ』と言わんばかりに互いに掴み合いの喧嘩をし続けて実験を打ち切るまでついに脱出できなかった」という例を引いて、「マイナスの場」から抜け出せない怒りが群衆の中で高まった結果としてついに「プラスの場」まで含めて全てを破壊し尽くしてしまったと分析しています。


災害において本当に恐ろしいもの


ところで。本書は字面を読むだけでも目を覆い悲嘆に暮れたくなるような凄惨な災害被害の数々について詳細に記していますが、タイトルが物語るように本書の最大の題材はその災害に誘発されたパニックによる二次被害です。この点を最も端的に表現したパラグラフが巻末の第9章にあります。

マナグア地震の際の、大規模かつ傍若無人にまでいたった略奪、強窃盗団もまた、発生の順序、成長の過程を同じくしている。はじめは道路にころがり、焼跡に踏みつけられていた食料品の残りを拾うことからはじまり、貴重品を拾うことになり、捜すことになり、連れ立って探索することになる。そしてそれはやがて、被災地外のならずものや、貧民を吸引することになり、倒れ捨てられた家だけでなく、周辺の半壊の家、人の住む家にまでおよび、最後は団地を襲い、悲鳴をあげた主婦の首をかき切るにいたる。この連中は団地の自衛団とうち合いになり、あちこちで小戦闘がかわされるようになったという。日本大使館づきのある職員は、郊外の自分の家で三日間一睡もできず、近隣の人とピストルを構えて夜警したという。このころ日本人居留民の女性たちは、恐怖と不安にいたたまれず、ついに大使夫人を先導として、外国に一時避難しているのである。この人たちと、後に語り合う機会をもったが、何がこわいといって、地震のおそろしさもさることながら、そのあとの略奪騒ぎぐらい堪えがたくこわいものはありませんでしたと述べておられた。人間にとってこわいのは、天災ではなく、じつに人間そのものなのであった。
(pp.188-189、太字筆者)

マナグア地震は先述の通り地震そのものによる死者が1万人近くに達し、発生からしばらくの間は文字通りの地獄絵図が展開していたことが本書にも記されています*5。しかしながら、上記の在留邦人の証言によれば地震そのものよりもその後の略奪騒ぎの方が恐ろしかった、というわけです。


「人間にとってこわいのは、天災ではなく、じつに人間そのものなのであった」という警句は、2020年に生きる我々にとってもなお生々しく響くように思われます。社会が災害に襲われ、人々を不安が取り巻くようになったら、まずは「人間そのもの」の脅威に目を光らせ警戒し、パニックに巻き込まれないように努める。そんな個々人としての自衛努力が必要なのかもしれません。


パニックから免れるための12の条件


本書の最後にある第10章では、まとめとして「パニックから免れるための12の条件」が列挙されています。以下に引用しリストアップした上で、簡潔に解説を付しておきます。

  1. パニックをなす基盤である群衆に共通の不安、恐怖動因を低減する:予備知識を持ち、対応を事前に学んでおくことが大切
  2. 当面の不安だけでなく、それが付加される一般的根源的不安をのぞく:不安の総量がパニックを増強するので、解決可能な不安は取り除いておくべき
  3. 群衆動因の低減:群衆は統制可能な単位に分割するべき
  4. 群衆行動のキッカケを防止する:戦争の最前線で訳も分からず後方に走り去る兵士が数名出れば、全軍敗走のきっかけになる。パニックを喚起するような言動や行動は抑制するべき
  5. 群衆相互の間にある暗黙の、あるいは公然たる競争の動因を低減し、除去する:きちんと行列を作らせる、順番待ちを徹底させるなど、秩序を保ち争奪戦の類が起こらないように工夫するべき
  6. 群衆の中に連帯性をつくり出す:「みんなで頑張ろう」「思いやりが自分も相手も救う」などの呼び掛けも大事
  7. 自らのなすべき役割りをもつ:ヒトは役割に徹する時に恐怖から自由になれる、古い言葉で言えば「母は強し」である
  8. 指導者に人を得る:ヒトは不安定になればなるほど、権威あるものにアンカリング・ポイントを求める
  9. 身体的疲労をさける疲労は判断力の低下以下多くの問題を招く
  10. 被災者の間に不公平のないように配慮する:皆が公平に無一物だと差別のない平等を感じるという、だが少しでも差が出ると差別感が生じ不平不満が出る
  11. 確度が高く、直接的、具体的そして指示力の強い情報を提供する:事態のあいまいさや根源不安の成長を抑止することがパニックの防止に重要
  12. 「不意の災害に不断の備え」:防災訓練のように、不測の事態に反射的に体が動いて対応できるようになるのが理想的

面白いのが8番目で、本書刊行の少し前に起きた1973年根室半島地震では当地の店舗で周囲の食器棚が次々倒れる中、慌てて駆け出そうとした多くの客に対して店員が一言「動かないでください!」と叫んで全員がピタリと止まり、その後のパニックを免れたという話が紹介されています。また大洋デパート火災の際も、5階だけは店員が機転を利かせて増築工事中の部分に通じるドアを開けて誘導したことで全員無事に避難できたという話が記されています。


ともあれ、群衆のパニックを防ぐということは一人一人が正しい情報を得るとか適切な行動を取ることもさることながら、集団レベルでやらなければいけないことが多いのだということが、このリストを読むだけでもよく理解できます。


最後に:パニック・ドア実験が示唆するもの


上の方で取り上げたパニック・ドア実験ですが、最後にその詳細をもう少し細かく書いておきます。正確には、これは著者の研究室が東京都の防災会議から委託されて行った「パニックについての動物実験」の一つだそうです。


まず直方体の金網のかご(檻)を用意し、一ヶ所だけマウスが全力でぶつかれば開くような隠し扉をつけておきます。そしてその下に紙やおがくずや発煙筒をばらしたものを「燃えぐさ」として敷き詰めます。次に檻にマウスを入れ、しばらくしてから燃えぐさに火をつけます。当然燃えぐさは燃え上がって、火の手は火災と同じように檻を覆い始めます。最初のうちはマウスは火災の現場に駆けつけてはその熱さに退散するという行動を繰り返しますが、火の手が広がるにつれてひげや体毛が焼け焦げ、行き場を失ってパニックになって檻じゅうをデタラメに駆け回り脱出口を探します。最後に、この実験の際のマウスは檻全体が炎に包まれるという直前に火事場の底力で隠し扉を突き破って脱出したそうです。これで「経験マウス」が出来上がります。


次に、30分経ってから今度は全く同じ檻に、ひげも体毛も焼け焦げて異彩を放つ容貌をした上述の「経験マウス」1匹と、他方でこの実験は初めての「未経験マウス」4匹を入れて、同じように可燃材を檻の下に敷き詰めて火をつけます。そうすると。。。勿論経験マウスは最初から隠し扉にまっすぐ向かっていくのですが、残りの未経験マウス4匹は当然のように火に近づいては火傷して逃げ回るという行動を繰り返します。この4匹が暴れ回るせいで経験マウスは何度隠し扉に近づいても邪魔され続けて脱出することができず、この実験の際は最後は5匹とも脱出できず檻全体に広がった炎に焼かれて全て死んだそうです*6


「三人寄れば文殊の知恵という諺に対して、その三人が烏合の衆で、かつは恐怖の事態でもあろうものなら、三人寄れば狂気の沙汰とでもいうような状況がそこにはあった」(p.88: 太字筆者)と著者は記しています。一人の時ならば何とか理性的にコントロールできることが、群衆になると狂気の中に飲み込まれてしまって全くコントロールできなくなるという、群衆心理学の教科書に書かれていることがそっくりそのまま再現された結果だったのです。


言い方を変えれば、「自分一人が様々な情報を身につけ多くの準備をして理性的に事態をコントロールするべく努力しても、パニックに駆られた群衆に巻き込まれればその全てがパーになる」ということなのでしょう。なればこそ、集団(群衆)レベルでの適切で組織的な対策が必要になる、ということなのだと僕は理解しています。


補遺:電気ショック版パニック・ドア実験


この記事を公開した後で一つ重要な話題を書きそびれていたことに気づいたので、補遺として追記しておきます。


こちらも著者の研究室が都の防災会議から委託された実験の一つで、前述の火を使うパニック・ドア実験を火の代わりに檻の床側から電気ショックを与えるようにして、マウスに隠し扉を探させてそこから脱出するまでの時間を測定したものです。ポイントは「何度も1匹だけで檻から脱出させて経験を積ませたマウス5匹」と「全くの未経験マウス5匹」とを組み合わせることで、「経験者が未経験者と協力して正しく脱出を誘導できるか」を調べたということ。


本書によれば、マウスたちは電気ショックが来ると爪先立ちになり、背中を丸め、尻尾をピンと上げ、ぴょんぴょんと跳ね回るそうです。ただ、経験マウスたちがそそくさと隠し扉に向かって行った一方で、未経験マウスたちはただただ跳ね周りぶつかりまくるだけで混乱するばかりで、経験マウスが脱出したのに「幸運にも」巻き込まれて脱出したものが大半だとのことでした。脱出時間を測定した結果がp.99に出ています。

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第1グループの未経験マウスに∞が2匹いるのは実験を打ち切るまで脱出できなかったことを意味するのですが、先に書いたようにこの2匹は他のマウスたちが脱出した後も脱出できない一方で、残った2匹同士で互いをまるで憎むかのように掴み合いの喧嘩を繰り広げ、電気ショックが加わるたびにあたかも「お前のせいで酷い目に遭っているんだ!」と言わんばかりに掴み合いをさらにエスカレートさせることを繰り返していたそうです。


この結果を著者は「経験者は逃げ、未知の者は放り出される」とまとめ、知識や情報のある経験者は先にさっさと逃げ出してしまう上に未経験者の助けにはならないことが多く、取り残された未経験者は混乱するばかりであまつさえ取り残された者同士で内輪揉めを始める、と結論づけています。その好例として、終電を逃した混乱から大多数の乗客が駅頭でパニックになりさらには国鉄への怒りが増幅したことで暴徒化し、せっかくの食料などを蓄えたキヨスクなどを破壊してしまうようになった首都圏国電暴動を挙げています。これもまた、非常に示唆的な話だと個人的には感じました。

*1:1977年生まれの僕にとっては生まれる前の話なのでそもそも「歴史」としてしか知らない出来事ばかり

*2:なお崩壊したマナグア市街は再建を放棄され、離れた位置に新市街が建設され現在もそこが市街地となっている

*3:おそらく現在の動物実験倫理審査基準ではこの実験は決して許可されないと思われるので、本書の記述は貴重な記録とも言える

*4:この時と同じ法的措置が先般の北海道に対する緊急のマスク供給のために行われたとのこと

*5:あまりにも多くの遺体が市内のあちこちに積み上がったため、災害救助にかけつけた赤十字の人々は人手が足りず最高幹部に至るまで替えの手袋も手を洗う水もなしに腐乱の酷い遺体を処理し続けた、と本書にはあります

*6:「実験動物に限界を超えた苦痛を与える」ことを禁じるというのが現在の動物実験倫理審査基準にあるため、この点でこの実験は現在は認められないはずです